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1997年4月19日 〜 7月13日 [終了しました.] ギャラリーA





吉松秀樹氏の「連歌」 4月4日付け


この連歌の練習(?)はどういった意味をもっているのだろうか.
外野からは,「うだうだいってないでビジュアルに始めてしまえばいいのだ!!」とか「そんなことは関係ないのだよ.引き受けた以上踊るしかないのさ」とか「ぐちゃぐちゃになったらなったでそれもまた良し」とかいろんな声が聞こえてくる.デジタルアーキテクトということなのに連絡はファックスでやってくるし,ホームページにはタイムラグがある.これも「遅れ」という奴なんだろうか?!

さて6人めとしては,なにを受け継げばよいのだろう.
「島」→「堤防・船・壷」→「迷路と仮枠」→「日々変わる迷路・まだらのムラ」→「宙吊り・断絶」→「浮遊」と続いているという.
連歌というよりもしりとりのようだ.(どこに違いがあるのかという話はおいてお くとして)
それともこれはやはり連歌ではなくレンガだったのか?
ならばここらで一端崩さなくてはならないだろう.せっかく宙吊りにされて浮かんでしまったのだから.(建築家はなにかを浮かばせたいし,フレームを崩すのはアーティストの役目だし)

島のフレームを崩されたうえにぐちゃぐちゃにされしかも空中にほうりなげられたかわいそうな島.一体これ以上島になにをすればいいのだろうか?

島をオブジェクティブに扱うことに対して疑問がある.
島はものでもないし,人間でもない.
これは都市(?!)なのだ.
都市はなぜ都市なのか?島は都市であるのか?島はなぜ島か?(これは議論しました)
計画とは島にとってどういう意味をもつのか?島はつまるところ形でしかないのか?
海市が中国にとって「点」ならば,そこに質量がある必然はどこにあるのか?

という疑問を提示するために,この島には人がだれも住んでいないこととする.

「無人」です.


超低密な都市(それが都市と呼べるなら)こそがもっとも未来的である.
ジュール・ベルヌのようでもいいし,砂漠でもいい.
ここに海市があるという幻想のみでも成立する.
桃源郷である.(なんと埋め立てなくてもよい!)
最もデジタルな解決ともいえるし,それは計画にすらなっていないということもできる.
しかし,ここにはこのプロジェクトの本質的な弱点が隠されている.
この人工島には,島(都市)であるための必然がない.
そういう意味では,岡崎さんの発句に戻ったといえるだろう.
ボーダーの意味が本当に浮かんでいるし,宙吊りにされているのだ.
島の外側が島でもいい.島は無人であることによって初めて島(都市)としての意義や必然を見いだすこととなる.

無人の島を計画すること.それはどういったことなのだろうか?

と,ここまで書いて間違えてメールを送ってしまったところ,「<無人>や<超低密度>について,具体的な説明が必要だ.そうでないと,コンストラクティヴでないと誤解される.」というクレームが磯崎アトリエの佐藤さんよりやってきた.

というわけで補足説明.

01
連歌は読解のうえに成立しているものであり,表層的な連関は2次的なものである.(会場での連歌とこの練習とは別のフレームであると理解しなくてはならない)
02
島が島であることの意味を棚上げしてもなんら具体的な提案となりえない.(岡崎Q1)

無人は建設的である.なぜならこの計画におけるソフトの欠落をある程度収束させることが可能なフレームだからである.
03
無人とは様々な読解を持ち得るフレームである.(以下例題が続く)
砂漠のように文字どおりなにもないという理解もある.
そこには迷路があって実はラピュタでと考えてもよいし,低密で均質な都市をムラのある迷路と見立てても良い.
04
廃墟であると想定してもよい.かつて文明(!)のあったところ.(ならば火星か?)
廃墟を想定して計画するのなら,なにもないことを計画目標とすればよい.
文明や都市はその途中経過でしかない.それらを内包できる計画とははたして計画と呼べるだろうか?
05
定住者のいない都市(東京で言えば大手町のようなところ)ととらえても良い.
現実的な都市像の一つであるし,全てが蛋民であるととらえればそのままである.
蛋民が一斉にいなくなれば,ここは島ですらなく,島の外が島となりえる.
浸透膜で言えば,密度が下がれば下がるほど浸透膜は浸透膜である意義を失い,逆転する可能性すら帯びている
06
住んでいるのに住んでいないことになっている都市という理解もある.
asian nation
の首都であれば,存在はわかっているが到達できないフレーム(日々変容する迷路)を持ち得ているというのが相応しい.まさにミラージュシティーである.
あるのだけれど,ない都市.それが本当の中枢をにぎっている.理想的な基地像である.
07
存在しないのだけれど機能している都市というのもある.
海市は計画され住民も存在し都市として機能しているにもかかわらず,現実には存在せず,その事実は隠されている.仮想都市と現実のあいだを揺れ動く,これも理想的な基地像.

とうような補足説明をして次へ渡します.

PS:「みんなの建築」のみなさんへ
こんな話がホームページ上で読めるか!というのには同感です.
プリントアウトして読むのはばかげているので,SAVEしてのんびり読んでいます.
誤読があるのはしょうがないでしょう.そんなものです.

吉松秀樹