ICC





はじめに
入場料
展示作品 1
展示作品 2
海市について




計画/経緯
ANY会議/ユートピアをめぐる言説
ヴェネツィアビエンナーレ/海市計画コンセプトパネル
展覧会について(会場構成




1. プロトタイプ
2. シグネチャーズ
3. ヴィジターズ
4. インターネット
ウェブページを通じた展覧会への参加
DWF形式によるAutoCAD図面の参照
フォーラムのページ
参加作家
カタログ
 
1997年4月19日 〜 7月13日 [終了しました.] ギャラリーA





吉松氏と入江氏のやりとり


○ 以下,「入江メモ」について,吉松秀樹さんと入江経一さんとの応答です.(1997.2.6.)

吉松秀樹
全体の枠組みや考え方についてはこの方針に賛成です.ただ,次のような点が気になります.

1

アーティストが参加すること,ICCギャラリーがおそらくより社会的なインターフェイスを目指しているであろう(?)ことを考慮すると,海市プロジェクト自体が大変わかりやすい,ともすれば誤解されかねない構図を有しているが故に,その1パートであるVISITOR'Sはいくつかのインターフェースが重層的に構築されている必要性があると思います.
つまり,具体的な手順を示しておかないと,何をしているのだかわからないうちに会期が終わってしまうのではないかという危惧です.

この危惧は,入江さんがいわれている世界と矛盾するものであるのかもしれませんが,建築家やアーティストの最も重要な命題の一つであるのだと僕は思います.
(フレーム問題と僕は呼んでいます)

そのうえでこの海市のような計画ははじめて意味を持つのだと思います.非現実的であるからこそ,現実的な手段が見えていなくてはならない.そういう話です.いかがでしょうか?

2

入江さんのテクストでは,前提としてデータベースというタイプがあると思います.それらがリレーショナルなセットを形成する.それ自体は,極めて現実的なシュミレーションです.しかし,その枠組みを越えたものをどう考えるのかが問題です.それもセットに含まれるのだという理解はわかります.でもたとえば全員がデータベースのような構想を提示したした時,またはシステム提案に終始したとき,企画は宙に浮いてしまうのでは?
それらをつなぎ止めておく錨のようなもの,または自由に浮かばせておけるフレームがいるのではないでしょうか?
なんとなく,みんなは,サブアイテムという考え方からスタートしないような気がします.

というわけで,もう少し具体的なインターフェースから考えてみることにします.

僕自身は,インターネットとの差別をはかる意味で,このセクションはより人間的などろくさいやりとりに,抽象的なデータベースの枠組みが多い被さってくるといったかんじなのではないかと思っています.インターネットは,佐藤さんの案のように自動生成的な即時性をもった生物的変化を視覚的に確保していくという方法で進むのでしょう.VISITOR'Sは,もう少しタイムラグのある矛盾の満ちたやりとりが重なり合いながら現れてきて,参加している人すべての理解が違うことをビジュアルに表現されるためにデータベースが存在しているという構造でしょうか?.

例えばVISITORは都市をめぐる考察を軸に自由にかってきままに発言をした記録をもとにアシスタントないしはワークショップの参加者がそれらから自由に発想してビジュアル化していく.データベースに使う人をもしくは読みこなす人の視点を導入するということです.
宣言を作るもよし,教育をするもよし,絵をかくもよし,選択肢は自由です.ただ読解者はそのレファレンスを明記しなくてはならない.物理的な制限(制作限界やメディア)はVISITORではなく,読解者にかける方がよいでしょう.


>作業の日程
VISITORは2週間を各自の作業期間として受け持つ.そのうち初めの1週間は前任者,後ろの1週間は次のVISITORとオーバーラッップする.
はじめの1週間は現在のVISITORの構想の期間とする.同時に前のVISITORの構想が刻々と具体化している時期である.それらを見ながら前のVISITORとの対話の日をもうける.対話にて様々なデータやセットが産み出され,記録される.参加者はそれらおよびそれまでのデータベースをもとに自由に表現を提示していく.ただし,物理的な制限がある.参加者は,公募する.(5名ぐらいか?)さくらがいてもいい.

終わりの1週間は構想を参加者が具体化する期間であり,模型やCGで街がかわっていく.次のVISITORとの対話の日をもうける.

基本的には対話によって産み出されるものがメインです.
それらがなにを産み出し,誤解され,曲解され,推移していくのか,それらが視覚的に現れていくことのよってさらなる対話が産み出されていき,さらなる誤解が生じていく.思考実験です.


以上,かってなことを書きましたが,ようはもう一段階クッションをおいて構図は明快に読解は複雑にしようというだけです.どうでしょうか?

吉松秀樹


 


吉松様

メイルありがとうございました.以下はわからないところについての質問と,意見とです.

> フェイスを目指しているであろう(?)ことを考慮すると,海市プロジェクト自
> 体が大変わかりやすい,ともすれば誤解されかねない構図を有しているが故に,

どのように誤解されるのでしょう.

> その1パートであるVISITOR'Sはいくつかのインターフェースが重層的に構築され
> ている必要性があると思います.

いくつかのインターフェースについては具体的にどの様にお考えですか.ぼくは3Dモニタリングと,文字情報のテーブルが必要かと思います.それらが重層的に構築されていると言うことは,リンクがはられているということです.


> つまり,具体的な手順を示しておかないと,何をしているのだかわからないうち
> に会期が終わってしまうのではないかという危惧です.

具体的な手順は十分示されていると思います.ただ現時点でそれが具体的実体でないだけではないでしょうか.そして,それらを誰がどの様に構築するかです.

ですから1については感想が吉松さんと僕とでは全くすれ違うようです.

2
> しかし,その枠組みを越えたものをどう考えるのかが問題です.

これについては2月のミーティングでみなさんと話し合うことができます.

> でもたとえば全員がデータベースのような構想を提示したした時,またはシステ
> ム提案に終始したとき,企画は宙に浮いてしまうのでは?

僕も含めてVISITORの振る舞いが形を作るarchitectなのか,それが浮き彫りになるようで,面白いところ.しかし,れんが的構成といわれる以上,建築的提案も,世界のフレームも,どちらも各人の主張のかってな羅列と言うわけには行かないでしょう.そこまでもどって,勝手にやりたいという風にひっくり返すものありとするか.ぼくはその辺はあまり決めなくても放っておけばいいと思う.

> それらをつなぎ止めておく錨のようなもの,または自由に浮かばせておけるフレ
> ームがいるのではないでしょうか?

それについて,具体的にお聞かせください.


> VISITORは都市をめぐる考察を軸に自由にかってきままに発言をした記録をもと
> にアシスタントないしはワークショップの参加者がそれらから自由に発想してビ
> ジュアル化していく.
> データベースに使う人をもしくは読みこなす人の視点を導入するということで
> す.

データベースは僕の考えでは,だれでにもアクセス可能なものですから,当然こういうことになるでしょう.


以上について,ご意見をください.

入江