ICC





はじめに
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1994年9月2日〜9月15日 [終了しました.] ICCギャラリー





はじめに


我々の五感がとらえた生の情報は,そのままでは日常的な生活には影響がおよばない.
そうした情報が意図をもって解釈され,我々の思考を変えた時に初めて,それが理解されたといえるのだ.情報はそれが取り込まれた現在という瞬間にだけ意味があるのではなく,過去において起こったかも知れないという可能性,そして未来において起こるかも知れないという可能性を含めた世界観に立って解釈をする必要がある.例えばなんの障害物もない広場で自転車に乗っている状態を思い起こしてみる.我々はどの瞬間においても,ハンドルを自由な方向へ切ることができる.しかし,現実にはひとつの方向しか選択することができないのだ.この時,自転車をどこにでも自由に行ける乗り物であると考える人と,自転車は常にひとつの所にしか行けない乗り物であると考える人がいる.つまり,人は自転車を見るとどこかへつい行きたくなる,という想像力を刺激され,そこで自転車以外のなにかを見るのだ.これが可能的世界の中の自転車の姿というものなのだ.可能的世界は可能性への想像力によってなりたっている世界なのであり,普段の生活では必要のないファンタジーの世界のことなのである.そうした想像力によって,情報がインテリジェント化しモデルが生成される.モデルは様々な方法で操作され,分解され,置き換えられ,展開され,それがシンボルという思考と切り離せないものとなる時に理解が始まる.グラフィックスは3次元的モデルをダイナミックに操作し,シンボルを生成するための道具であり,新しい理解の方法を産む力である.

このアトリエでは「速度」を身体的な現実から切り放し,可能的世界の中へ持ち込む.それは速度というファンタジーなのであり,それは芸術にのみ許されてきた感性の外在化という作業のことをいうのである.このはざまに表現技術の進化という問題が浮き上がる. 現実を見ながら現実以外の可能的世界を見る技術は芸術の特権的方法論であったのだが,近代においては科学の特権となってしまった.科学が作り出すモデルが社会へ容易に受け入れられていったときに,芸術は感性の技術化という狭い範囲での作業の中に満足せざるをえなくなってしまったのである.分断されてしまったリアリティーを結び合わせるためには新しい想像力が必要なのだ.より強く空想するためのひとつの方法はハードウエアを徹底的になぶり倒すことだ.ハードウエアの中に宿っているファンタジーを叩き起こす必要がある.我々,来たるべき芸術家はこれらを想像力で統合する試みを果敢に行わねばならない!