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ICC コレクション

《ランドスケープ・ワン》 [1997] “Landscape One”

リュック・クールシェヌ

《ランドスケープ・ワン》

作品解説

四面のマルチスクリーンに映し出されるある公園での出来事.タッチパネルを通 じて行なわれる仮想の空間に登場する人物との会話.このインタラクティブなアクションは仮想の空間と現実の空間に交錯して幾筋もの物語を呼び起こし,その結末を不可思議な仮想の迷宮へと導きます.

ICCビエンナーレ ’97 グランプリ作品

アーティスト

展示情報

関連情報

作家の言葉

四方の壁はヴィデオ・プロジェクターで「描かれて」おり,全体として公園を360度見わたしたリアルな風景をなしている.モントリオールにあるモン・ロワヤル公園に設定された空間を,現実の人々およびヴァーチュアルな人々が訪問する.ヴァーチュアルな人々は自由に公園の中を行ったり来たりするが,現実の観客たちはその中を歩いたり,散策したりしようとするならば,助けを必要とする.空間内を自由に動きまわるためには,与えられた選択肢の中から,声やタッチ・パネルによる操作を用いて,質問やコメントを選ぶことによって,ヴァーチュアルな人々とコンタクトをとらなければならない.質問とは,例えば「どこにいるか」「まわりには何があるか」「どこに行くことができるか」といったもので,これにより,両者の間に何らかの関係を築く会話が成立する.登場人物が興味を示さなければ会話は短くして終わってしまうかもしれないし,会話が続けば,公園内をガイドしてもらうことが可能となる.後者の場合,来館者は,ヴァーチュアルなガイド役に従って風景を探訪し,空間全体がひとつの方向に向かって動き出すことになる.

ガイドと来館者たちとの会話が続き,空間の展開を規定する.現実の来館者は,ヴァーチュアルな登場人物を利用して自分の道をたどっていくので,両者の関係の性質が,物理的なものであれ,隠喩的なものであれ,アクセスできる空間を定義づけていくことになる.また,散策の目的地や結末はいくつか用意されており,ガイドとの関係が切れてしまうと,来館者は単純に置き去りにされてしまうかもしれないし,もしかすると展望の開けた場所や禁断の目的地へと達するかもしれないのである.

この空間の探訪は,言葉,意味,言語,主観の追求でもある.そして出会いが起こる物理的な世界だけではなく,別の来館者によって引き起こされる意味や関係の多様性にも焦点が当てられている.つまり,空間のもつ性質のいくつもの表徴が表現されながら,その中を動きまわる人々の間に起こるコミュニケーションとディスコミュニケーションが,ここで体験されることなのである.したがって,コミュニケーションが成立すると,来館者はかなたに存在する場所への多様な道に導かれるのである.

作品《ランドスケープ・ワン》は,複数の来館者に対応できるインタラクティヴなヴィデオ・インスタレーションで,タッチ・パネル,マイク,動作センサーを搭載した5台のネットワーク・コンピュータ,4台のヴィデオ・プロジェクター,および4台のレーザーディスク・プレーヤーで構成されている.

(リュック・クールシェヌ)

作家紹介

メディア・アートやテクノロジカル・アートがこれまでの美術と最も異なるところは,そのインタラクティヴィティ(相互作用性)にある.客体的な存在としての作品であるよりは,見るものが積極的に作品に参与することによって,初めて作品が作品として完結する特質をもっているのである.カナダのメディア・アーティストであるリュック・クールシェヌが追及しているのもこうした世界である.

1952年カナダに生まれたクールシェヌは,現在モントリオール大学で工業デザインの教授を務めているが,はじめはヴィデオ・アーティストとして作品の制作を行なっている.82年に制作された《われら12人》は,初期の代表的なヴィデオ作品の一つであり,登場人物が各々同一の物語を思い出しながら話していく,5分ほどの短い映像作品である.カメラの前の人物が,思わず自らをあらわにし,個人の内面をその表情のうちに反映させてしまう,後のインタラクティヴな作品でも見られる人間の存在や内面を探究しようとする姿勢がすでにここに見てとれるだろう.

84年初めてインタラクティヴなヴィデオ作品の制作に取り組み,実験的なポートレート作品を発表した後,90年には《ポートレート・ワン》という本格的にコンピュータを使った作品の制作を行なっている.この作品では,断片的に撮影された映像の集成を単純にコラージュしただけではなく,虚構の中の登場人物が,現実の観客と対話する演劇的な空間をつくりだす手法が導入された.分析的に構築された対話は,あたかも映像として現われた登場人物が,仮想の空間の住人であることを忘れさせるかのように,巧みに物語が仕組まれている.

さらにこの対話篇は,ひとりの肖像という単純な形式から,より多くの登場人物と複雑な構成をもった作品になっていく.ニューヨークの近代美術館でも発表された《家族の肖像》(93年)では4人の登場人物があらわれる.さらに96年カナダのモントリオール現代美術館で公開された《影の広間》という作品では,地質学者,数学者,小児科医,形成外科医の4人の登場人物と観客の対話が,4つに分かれた対話のステージのレヴェルに合わせ進行する.ここでは観客と登場人物の一対一の会話だけではなく,観客が会話に介入することによって,集団全体にその相互作用が及ぼされ,対話の構造は一層複雑なものになり,物語としての空間がより強固に構築される.そして最後にはこの登場人物たちは,自らが仮想現実であることを知り,自らの存在を抹消して終わるという筋立てなのである.

ここで重要なのは,これらの作品が,それぞれ体験する鑑賞者によってまったく異なるものとして現われる可能性があることであろう.たとえばこの最新作の《ランドスケープ・ワン》においても,ピクニックに興じる家族や自転車に乗って登場する若者たちと観客が演じる仮想空間のドラマは,幾筋もの物語をもつ.観客すなわち作品の鑑賞者は,必ずしも同一の作品体験を得るとは限らず,むしろまったく異なった世界を経験する.このとき鑑賞者のうちには異なった内容がひとつの作品として記憶される.すなわち作品は同一性を保証された作品であるよりは,さまざまな経験を提示する「装置」としての機能を果たし,さらに鑑賞者の介入なくしては作品は完結しないのである.クールシェヌの作品のこうした特徴は,単に彼の作品だけではなく,メディア・アートの今後の展開と可能性を考えるうえでも重要なものと言えるであろう.

(小松崎拓男)

クレジット

企画・脚本・デザイン・監督・制作:リュック・クールシェヌ
キャスティング・演技指導:ローヌ・ブラス
撮影監督:リュック・クールシェヌ,ジェイソン・レヴィ
撮影:ジェイソン・レヴィ,パスカル・クールシェヌ
録音:クレイグ・ラップ
セット撮影:フレデリック・クルティエ
ヴィデオ編集監督:スザンヌ・ゴスリン
編集助監督:ドミニック・カーミカエル,エティエンヌ・デゾテル,フランソワ・ヴァイアンクール
ヴィデオ編集:リュック・クールシェヌ,ミシェル・ジルー
音響効果:クロード・シュライアー,リュック・クールシェヌ
サウンド編集:マルタン・ユールテュビズ
制作スタジオ:モントリオール・インディーズ番組制作社(PRIM)
コンピュータ・プログラミング:マルク・ラヴァレ,リュック・クールシェヌ,エティエンヌ・デゾテル
台本英訳:リュック・クールシェヌ
台本和訳:タキ・カナヤ
以下キャスト
子供:ピアリ・クールシェヌ゠ロリエ/母:アニック・ルメ/父:ユーゴー・デュベ/祖父:ロラン・ラロッシュ/友人:ポール・デュシャルム/愛人:ステファン・デメルス/通行人:ロドリーグ・プロトー/パーティへ行く人々:ロビン・マッケンナ,ジョセフ・カイアタ/犬:カトゥー

協力:ジェルマン・クールシェヌ,小島陽子,マリオ・ラリベルテ,モニーク・サヴォア,モントリオール市映画協会,モントリオール大学

作品一覧