ICC
[DDSmol]

DDSmol 三上 晴子

[DDSmol image]


ディー・ディー・エス・モル

三上晴子は1995年10月20日より東京の「アートラボ」で《モレキュラー・クリ ニック1.0》の展示を行なっている.これは参加者がアートラボのサーバーの 中に棲息する仮想の蜘蛛の分子を操作するという作品である.この展示のテー マである「分子構造」は,「いかなる生物学上の液体や固体もそれを構成する 分子の連鎖を変えることにより人工的に再現することができる」という分子生 物学の考え方に関係がある.三上はIC '95「on the Web」で,この蜘蛛のため の電子薬局とも言うべき《ディー・ディー・エス・モル》の展示を行なっている.

どちらの作品においても,同様のインターフェイスを用いている.作品にアク セスしたユーザーはまず自分のコンピュータにダウンロードする分子とそれを 操作するプログラムを選ぶ.IC '95の展覧会においては,それらはアートラボ の展示で蜘蛛に起こった突然変異を蜘蛛が克服するために用いるワクチン,突 然変異体やその他のプログラムとなっている.それからユーザーは分子を蜘蛛 の体に戻し,その変化を観察する.このような干渉が積み重なった結果,蜘蛛 の生活環境がどのように変化するかは予測できない.終わることのない転移が 行なわれる中で,無数の組み合わせが可能であり,すべてがコンピュータのク ロックの鼓動により編まれて一体となっていく.

最終的な結果は,アクセスする端末,ユーザーのドメイン,持っている分子, 結果として生じる分子の組み合わせなどの各個人の情報環境の衝突や分割など を反映する.各個人の細胞の健康状態の副作用や効果は予測できない.このプ ロジェクトは生物情報的なプロセスのテストであるとともに,生物学と仮想性 両方の予測できない本質を観察することでもある.これを最初にインターネッ ト上で展示するプロセスそのものが作品の一部である.ユーザーごとの経験, 先入観,嗜好の違いがパラメーターであり,この作品のすべてである.(編)

今回の作品は,「アートラボ第5回企画展——モレキュラー・クリニック1.0」 という,やはりネットワーク上の展覧会と連動するかたちで展開された.モレ キュラーと呼ばれる多数の球体分子によって成り立っている蜘蛛の体の一部を 参加者が自ら切り出し,それを別途ダウンロードしたブラウザー上で増殖させ, その中から気に入ったモレキュラーをひとつ,また蜘蛛の体へと返すというも の.《ディー・ディー・エス・モル》にはドラッグやワクチン・プログラムが 収蔵され,それをモレキュラーに投与することで,増殖や変容の状態が変化し てくる.会期中,蜘蛛の姿もどんどん変化していき,参加者の影響をはっきり と確認することができた.ネットワークを利用した鑑賞者参加型コラボレーショ ンの試みと言えるだろう.


リアル・ヴァーチュアリティ  三上晴子

新聞社からの質問で「これまでの作品はインスタレーションなど物理的に形が あり,触れることも可能な作品でした.今回は一転してヴァーチュアルな空間 の生命体ですが,従来の美術では重要視されていた〈形態〉にはさほど意味を 持たせていないようです.この作品で〈重要〉なのは何ですか?」というもの がありました.私がインターネット上で発表したものも,現在作っているVRの 作品においても実は〈形態〉は重要な要素でした.特に《モレキュラー・クリ ニック》の場合,生命体は分子レベルの運動による分裂や融合によって成り立 ち,あらゆるものはそのようにごく小さい断 片の部分の運動の偏向によりダ イナミックに形状変化をする.身体を例にとっても癌のようにごくわずかな細 胞内の異変によりそれが肉腫などになり血液や脈の運動と連動して転位し身体 自体の形状を変えていきます.

私は形態というものは,フラグメンツの運動によって作られると仮定していま す.従来の基本的な問いである「形とは何か?」に対して一番私の思考途中の 考え方に近かったのがモレキュラー・バイオロジーの「分子の連鎖を組み換え ることで様々な物体を作ることが可能」という考え方でした.インターネット という個々のユーザー(フラグメンツ)の運動によって成り立っているものと モレキュラー・バイオロジーという個々の分子の運動や連鎖の組み換えを研究 していくというふたつの世界に共通点を見出したわけです.

今回,このモレキュラーは物なのか事なのか? あるいは状態の集合なのか? などを考えました.これは生命体にもあてはまる事で,生体とはモノなのか? コトなのか? 状態の集合か? という同じ問いが成立します.私は,運動 状態の集合体であると一応仮定していけばヴァーチュアルなものも可能性があ るのではないかと思います.

インターネットの可能性や「身体と仮想空間」について色々なシンポジウムに 出かけて行きましたが,私には未だわからない事が多い.ただアーティストと いう個人が全体論を総括するような作品を作る必要はなく,かえって微細な諸 要素を重点的にやっていくことでそのようなものが理解できるのかもしれませ ん.現在の私にとっての微細な諸要素は「モレキュラー(分子)」ですが.私 は「ヴァーチュアル・リアリティ」というよりも,当面は「リアル・ヴァーチュ アリティ」を追求していった方がインターネットや人工生命などは可能性があ ると思います.