ICC
ICC メタバース・プロジェクト
濱野智史 メタバースのアーキテクチャ
コンテンツよりもログの集積のほうが圧倒的に面白い!?

濱野:先ほど私は,落書きモデルでのコミュニケーション,あるいは「聖地巡礼」のようにユーザーのコメントを残していったらどうか……という提案をしましたが,たぶんそれって,こういうことなんですよ.『インターコミュニケーション』の最終号(2008年夏号)で,荻上チキさんとドミニク・チェンさんと私とで鼎談をしたのですが(「コミュニケーションの未来──ゼロ年代のメディアの風景」),あそこでドミニクが自己紹介代わりに,彼が開発した「TypeTrace」を紹介しています.ドミニクはそれを「プロクロニズム[※06]」という言葉で説明しているんですが,「それって,ニコ動やケータイ小説の『恋空』でも同じことが起きているよね」という話になりました.プロクロニズムというのは,かいつまんで言えば「履歴が目に見える形で残っている」ということ.いまネット上で盛り上がっているコンテンツというのは,その「作品の出来映えがすごい!」というよりも,「この作品はどんなプロセスでできあがったんだろう?」とか,「他にどんな奴が来たんだろうか?」とか「どんな足跡が残されたんだろう?」といった履歴の集積体のほうが,少なくともいまのネット上では可能性があるし,面白いことになっているのだと思います.

 履歴というのは,そもそもリアル空間ではなかなか残らないものですよね.本だったら,完成した状態は商品を手に取れば読めるけれど,その本の編集や校正の過程は分からない.だけど本にしても,文章をいじって,赤線を引っぱっているときのほうが面白かったりするのかもしれない.入稿ひとつ手前の,赤字入りまくりのヴァージョン……例えばマルクス『資本論』の第八稿目とか,ヴァージョンごとに読んでみるとか.でも,マルクスならばいざ知らず,いままではなかなかそういう発想がなかった……というよりも,さすがに編集途中の記録は残されていないし,残されていたとしても,基本的にはどこかに保管されて,そのままだった.でも,情報化が進展することで,今後はそういったプロセス自体を保存して鑑賞するようなことが,けっこう可能になってくる.
 これも東浩紀さんのエピソードですが,彼が今週,「批評の書き方・実践編」みたいな講義を「朝日カルチャーセンター」でやられるそうです.で,東さんは最近,原稿をもっぱら「Googleドキュメント」[※07]で書いているらしく,あれってサーバ上にログを取ってあるから編集履歴が全部残るんですよ.もちろん「MS Word」でも変更履歴は残せますが,いちいち「開始」とかを押さないといけない.だけど「Googleドキュメント」の方は,何もしなくても履歴がすべて残っている……というか,残さないとむしろウェブサーヴィスとしてはまずいわけです.だって途中でネットワークが切れちゃうと,作業データが本当に消えてしまうので,常に何をしたかのログを残しつづけているわけですね.
で,東さんはこの履歴を使うことで,批評文を思考し執筆するプロセスを順を追うことができるので,すごく学生に教えやすくなる,と言うわけです.「この文章はこういうふうに考えて,こういうテーマで書こうと思っています.初めにこんなふうに書いて……ここでこの文章をこちらに移動したけれど,それはこういうふうに考えていて」みたいな思考の過程を学生に見せられれば,「あ,批評家ってこういう順番で文章を組み立てているんだ」ということが分かる.そういう執筆のプロセスって興味深いですよね.
 そういう意味でも,ログにはまだまだ可能性がある.というか,これまで表にあまり出ていなかっただけに,いろいろな可能性があるでしょうね.本当に詰めて実作に関わっていらっしゃった方の目線でしか見えていなかったものを,ログは可視化してくれる.例えばセカンドライフだったら,先ほど提案した「擬似同期的ツアー」に限らず,その仮想都市の建築過程のログそのものが残っている,なんていうのも面白いもしれません.
 このログに着目した流れでご紹介しておきたいのが,藤村龍至さんという若い建築家です.彼は1976年生まれで,オランダに留学された後,東工大の博士課程を出て,現在は『round about journal』という建築系のフリーペーパーを発行していたり,インタヴュー集を出版していたりと,書き手としても活躍されています.2008年初頭,INAX出版の建築雑誌『10+1』が終刊したこともあって,「じゃあ自分たちでメディアを作っていくしかない!」という思いで『round about journal』を始められたそうなんですが,藤村さんたちのコンセプトに,「批判的工学主義」というものがあります.これは,ちょうど東さんと北田さんの対談集『東京から考える』(NHKブックス)への建築家からの応答になっていて,いま郊外を中心にショッピング・モールなりタワーマンションなりがガンガン建っていく状況があり,そこでは工学的かつ動物的に建築が作られていて,「建築家不要論」も聞こえてくる状態があったとして,その状況に対し,果たして建築家はいかに批判的に応じていけばいいのか,といったテーマについて,盛んに議論されているんですね.そんな藤村さんが,高円寺に「BUILDING K」という建物を作られていて,ちょうど先週,東さんと僕で見学させていただいたのですが,その「BUILDING K」を作る過程を……まさに,いまログと言っていたようなことを実際に残していて,すごく面白かったです.

 建築家は最初に模型を作るわけですが,藤村さんたちのやり方では,まず最初の模型では建物の容積や敷地面積を踏まえて,だいたいのヴォリュームだけを決める,と.で,クライアントの要望を聞きながら,徐々にアイディアを入れてゆくことで,設計プランをちょっとずつ変えていくのですが,そのプロセスをすべて残しておく.しかも単に「残しておく」だけではない.普通はクライアントの様々な意見や要望を聞いたら,次の打ち合わせでは,だいだい3つぐらいのアイディアを出して「どれがいいですか?」と聞いたりするわけですが,藤村さんはそれをやらない.一切プランは分岐させずに,ずっと単線的にプランを作り変えつづけていく.また,お客さんの要望は聞くんだけれど,ひとつプランを進めていくごとに,2,3個ずつくらいしか要望を満たしていかないようにするそうなんです.それらを一気に解決しようとすると,無理が出てくるから…….
 そうやって設計プランをずうっと変えていくわけですが,「プランの分岐は一切しない」というのと「ひとつのプロセスで要望を2つ以上解決しない」というルールで,だいたい100パターンぐらいなのかな,ガーッとプランを進化させていくわけです.ソフトウェア開発なんかで,ログ(差分)を全部残していくのに近いイメージですね.
 実際これは,お客さんとのコミュニケーションにすごく役に立つと言っていました.例えばクライアントが「あ,やっぱりこんなこともしたいなぁ」と,ちゃぶ台をひっくり返すような要望を突然言いだしてくる.だけど,過程のログが残されていれば「いや,その要望は,この段階で解決して,ダメって意志決定されたじゃないですか」と確認することができる.結果,作り手側とクライアント側のコミュニケーションを整理するのにとても役立つ,とおっしゃっていました.そういう意味でも彼は非常に実践志向というか,お客さんの要望やナレッジを効率的に吸収していくために,ログの保存を徹底的に利用されているんですね.もちろん,多かれ少なかれ,建築家の皆さんは,すでにそういったことをやられてきたと思うのですが,藤村さんは非常に明快なルールで方法論として提案されているので,とても面白い.あと,オープンデスクとかで建築事務所に学生が来たときにも,こういうログが残されていると,建築家の仕事をとても教えやすいと,藤村さんも言っていました.

 凡庸なイメージですけど,建築家って,なんとなく磯崎新さんみたいな大先生がシャッシャッシャーってスケッチを描いて,いつの間にか「建物ができてる!」みたいな印象を僕もなんとなく持っていたんですよ(笑).だけど,もちろんですが,そんな「神様が突然降りてきて……」みたいな感じで建築ができるわけがない.現実的には様々な諸問題や矛盾があって,トレードオフがあって……みたいな複雑な問題が絡みあった状況があって,建築は一回建てたらもうやり直しはきかないわけで,どこかで建築家がドンと意志決定しないといけないわけですね.磯崎さんのかの有名な「プロセス・プランニング論」は,まさにそういう設計プロセスについて明快に論じたものだった.これに対し,藤村さんの方法論は,「プロセス・ログ取りまくり・プランニング」みたいな話ですね.この取り組みを,彼は「超線形設計プロセス論」という形で論じています.
 これにヒントを受けるならば,例えばそうですね,従来なら紙の模型でやっていたことを,3D仮想空間上に反映させて,クライアントの要望を聞きながら作っていく過程を全部残してゆき,ヴァージョン1,ヴァージョン2……って,同じ敷地の横にバンバン並べていったら,「あ,これはこういうふうに変わっていったんだ」みたいな変化が一目瞭然になりますよね.理想はそれで実際に建築まで作っちゃうことかもしれない.さらにいえば,「このヴァージョンではこの辺りが問題だ」とかって仮想空間上にコメントを残せたりすると,建築家と設計者側のコミュニケーションもやりやすくなるかもしれない.とてもプラグマティックな話だと思います.ただ,セカンドライフ内で建築とかって,あまり聞かないですよね.

──そうですね.メタバースの活用事例には「モデルルーム」って書いてあったりしますけれど,これは単にインテリアのシミュレーション的な考え方だと思いますし.

濱野:2006年頃の話ですが,アメリカの有名なホテル会社が,将来建築予定のホテルをセカンドライフ内に作ってみる……という話を聞きました.でも,それって要するに,デザイナーが設計したCADをそのままセカンドライフに流し込んでみた,みたいなことだったと思いますので,建築の設計過程を残していくような試みはやられていなかった.
 ただ,セカンドライフの良いところは,そう意味でも3Dの空間感を,ちゃんとした縮尺イメージで捉えやすいことでしょう.こういう紙の模型だと,さすがに中に入ったイメージまでは掴めません.そういうことができるのは,3D仮想空間の非常に有効なところだと思います.なので,この勉強会のひとつの可能性として,藤村さん的な「超線形設計プロセス論」,僕なりにいえば「プロセス・ログ取りまくり設計論」とのコラボレーションや応用というのも,ありえるかもしれませんね.

──たしかに建築系の方に参加していただいても,面白いかもしれませんね.

濱野:建築家の方はCADとか絶対に使っていらっしゃるので,データの融通は比較的利くと思います.もし可能であれば,実際に建築家の方がいまやられている建築プロジェクトのデータをお借りして(とはいえ,その場合はさすがにデータはクローズドになってしまうと思いますが),建築モデルを仮想空間内に作って,クライアントとのやり取りのときにそれを実際に見てもらう……とか.まあ,さすがにそこまでは難しいかもしれませんが,そういう可能性も考えられますね.
 あと,これは藤村さんが実際におっしゃっていたことですが,いま欧米圏の建築界でアツイのが3Dプリンタ,3次元出力装置なんだそうです.最近ではみんな建築家がウニョって変な曲線を描いてしまうので「模型にできない!」みたいなケースも少なくない.でも3Dプリンタがあれば,一瞬で解決しちゃうので,いまではあれを使って,どこまでアルゴリズム系の建築の掘り下げをやっていくかが盛り上がっているらしい.そんなこんなで,CADや3Dプリンタの登場で,建築デザインもけっこう即物的に変わってきているところも大きいみたいです.僕の考えでは,本当はそこにセカンドライフが入っていってもいいわけですよ.でも,まだそうなってはいない.普通に建築家の方も使えるツールとして,メタバースのような3D仮想空間の可能性を探っていくのもアリかもしれませんね.




[※06]プロクロニズム(Prochronism):グレゴリー・ベイトソンが使用した用語で,「生命体の生成履歴情報は,表層の形態に現われる」という意味. [※07]Googleドキュメント:グーグルが無料提供する,WWW上で動くオフィスソフト.グーグル版「Microsoft Office」的なサーヴィス.